-概要-
日時:2014.11.18
目的:琵琶湖(Lake Biwa)周辺の散策。
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浮御堂をあとにした私は、
湖の東方向へ。
辿り着いたのは、近江八幡。
今回ふたつ目の訪れて良かった場所です。
なんといっても八幡掘とその町並みです。
タイムスリップした感覚に陥ります。
実際に八幡掘を歩いているときに、
にわか雨が降り、
周りに誰一人いなくなったので、
不思議な感覚に陥りました。
不思議体験。
近江八幡は近江商人の発祥の地らしいです。
近江商人について
近江商人とは近江で商いを行う商人ではなく、近江を本宅・本店とし、他国へ行商した商人の総称で、個別には「高島商人、八幡商人、日野商人、湖東商人」などと呼ばれ、それぞれ特定の地域から発祥し、活躍した場所や取り扱う商品にも様々な違いがあるのも特徴です。(近江八幡観光物産協会より)
近江八幡の町並みについて
近江八幡の町並みは、天正13年(1585年)に豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)が八幡山に城を築いたことに始まります。
秀次の楽市楽座等による商工業の発展政策は、その後の近江商人の活躍の原動力となりました。天正18年(1590年)に 秀次が移封され、ついで京極高次が城主となりますが、わずか5年後の文禄4年(1595年)に廃城となります。城下町商人と しての特権は失われましたが、船や街道を利用して多くの人や情報、文化が入ってくる地の利を活かし、その先進性と自立
的な商法により八幡を本店として江戸や大坂に出店を設けるなど活躍していきます。
今なお碁盤目状の整然とした町並みは旧市街地に残され、特に新町や永原町にはかつての近江商人本宅の家々が立ち並び、 八幡堀に面した土蔵群は往時の繁栄を偲ばせます。
(近江八幡観光物産協会より)
八幡掘りについて
八幡堀は天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まります。秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけました。(近江八幡観光物産協会より)
全国各地に町並み保存地区がありますが、
近江八幡もとてもきれいに保存されていると思いました。
これも地域の方々の絶え間ない努力があってのことだと思います。
私の故郷も変わらない場所もありますが、
変わってしまった場所の方が多いと感じる今日この頃。
変化は必要なのかもしれませんが、
変わらずに未来に残すことも必要だと
近江八幡の町並みを見て思いました。
心が穏やかになると思いますので、
一人旅でも、
複数で訪れても良いかもしれません。
ゆっくりお散歩を楽しんでみてはいかかでしょうか。
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